Amazonのほしい物リストを公開していて引っ越しする方された方は注意が必要!!!
Amazonのほしい物リスト
Amazonには自分がほしい物をリスト化する機能があります。このリストを公開する事も可能です。
何が出来るの?
このリストを閲覧した第三者はリストに掲載されている商品を
- 注文してリスト作成者にプレゼントする事が出来ます。
- 自分自身に注文する事が出来ます。
- リスト作成者ではない別の第三者にプレゼントする事が出来ます。
作成者の住所は?
リストの設定で送り先住所を予め設定しておく事が出来ます。この住所は非公開のため、リストを閲覧した第三者はリスト作成者の住所を知る事なく作成者にプレゼントが出来ます。
Amazonのアドレス帳機能
Amazonを利用した事がある方ならご存知だとは思いますが、Amazonのアカウントには宛名・住所・電話番号を設定出来ます。この機能ですが、アドレス帳という名前が付いており、複数登録が可能です。引っ越した際新住所を設定しますが、
- 旧住所を編集して新住所に変更する
- 新しく住所を追加する
の2つの方法があります。
アドレス帳とほしい物リストの送り先の関係
ここからタイトルに関連してくるのですが、住所変更や追加を行った場合、既定の住所の指定を変更しても、ほしい物リストで送り先に選択していた住所は変更されません。既定の住所と連動してくれません。
また、リストの送り先で選択している住所をアドレス帳で編集しても編集後の内容に変わってもくれません。
例えば
こんな住所をほしい物リストで選択していたとします。
次にアドレス帳機能の方でこの住所を変更します。
こんな感じで 「ダミー1市1」→「ダミー2市2」 に変更しました。
さてさて、その結果は。。。?
なんと、宛名のみで住所の表示が消えました。
プルダウンを開いてみると
???? 変更後のダミー2市が選択しているものとは別に存在しますね。
そうなんです、選択中のものを変更しても選択中のものは更新されず別の選択肢として変更後のものが出てくるわけです。
それって選択し直さなかったらどうなるの?
はい、この状況で誰かが注文してこのリスト作成者にプレゼントすると、変更前の住所に届くようです。旧住所に誰もいなかったり新居住者が自分じゃないと申し出た場合は持ち帰りとなり注文者には返金処理がされます。めでたしめでたし。。。
そんなわけが無かった!!!!!!
近年置き配指定だったり、宅配ボックスというものがありますよね。ポストに入る大きさであればポストに投函をもって配達完了となってしまいます。注文者の注文履歴には「配達完了」と表示されてしまうわけです。
ここからはあくまでSNSでの傾向なのですが、ほしい物リスト経由でのプレゼントって大抵誕生日とかのお祝いごとでサプライズで送る利用のされ方が多いと思います。リスト作成者にはなんの一言も言わない事も結構多いと思います。
するとどーゆー事が起きるかと言いますと、
- リスト作成者はプレゼントが送られた事なんて知らないので何も手元に届かない日常
- サプライズプレゼントをした注文者の注文履歴には「配達完了」と表示され無事届いたと認識
はい、これ送った人が何も言わなければ相手に届いていない事に気づけないわけです。
これものすごい問題だと思います。最近このケースに遭遇してしまいました。。。自分はたまたまプレゼントを送ってくださった御方一人を認識する事が出来て、数日経過しても何も届かなかったのでお相手の方に確認を取ったところ注文履歴は「配達完了」になっていたとの事です。ここで初めてこの状況に気づけました。紆余曲折色々あったのですが、最終的には注文者であるその御方が問い合わせた結果返金処理になったとの事でした。(なお、自分が問い合わせても基本的に注文者の個人情報が係わるので何も答える事が出来ないの一点張りでした)
しかも自分の場合ここ10年間で4回引っ越しておりまして、宛名しか表示されていないのでどこの住所を選択した状態になってるかを自身で確認する事も出来ないわけです。なので、本当に「どこに配達したのかがわからない」状態でして。。。なお、問い合わせてもこれも教えて貰えませんでした。「商品の到着をもってご確認ください」との事です。それが不可能だから問い合わせたんですけどね。お手上げ。
まとめ
ほしい物リストで届け先に指定している住所をアカウントサービスのアドレス帳で変更してもほしい物リスト側にその変更は反映されません。ですので引っ越し等で住所を変更した際は
ほしい物リストの届け先で新しい住所を選択し直すこと
を、忘れず必ずしてください。
2022年7月現在の仕事関連の自己紹介的なやつ
現在採用系の広告代理店に業務委託契約でJOINし、技術系全般を任されています。 ざっくりですが主に などなど。とにかくプロジェクトに係わる何から何まで関わってますね。 今でこそ有名になりましたが、一番最初は20歳頃に出前館のガラケー版の構築。 当時はPHP3or4あたりで、DBがMySQLだったかな。 今ほどインターネットが普及していなかったため、Webで注文があったら店舗にFAXを送信するというシステムだったため、特定のメールアドレスに特定のフォーマットでメールを投げるとFAXが送信出来るという仕組みがあり、それを使ってました。 PHPもMySQLも未経験だったのですが、MySQLのDB設計は既にPCブラウザ版が存在したのでそれを流用していましたが、何分未経験だったため本片手に手探りでやってました。 自社パッケージ的なものは一切やらず(そーゆーのを思いつく発想力が乏しい)、基本的には請負が多かったですね。とにかくもらえる案件は何でもやってました。 出会い系サイトの掲示板を作ったり、NPO法人の紹介ページ集みたいなサイトがあり、バナーをクリックすると1クリック毎にそのNPO法人に寄付が発生するサイトだったり。。。 後は今は懐かしいガラケーの着メロ・着うた・待ちメロ販売サイトの構築なんかもやってました。 主にPHPやMySQLやPostgreSQLが多かったですね。技術スタックの指定がなかったのでこちらから提案する形ばかりでした。 また、この頃はレンタルサーバーを借りて貰って、そこにHTTPサーバーならApacheやnginx、DBは前述のMySQLやPostgreSQL、メールサーバーにsendmail, Postfix, Qmail、DNSサーバーにbindをインストール・設定・管理作業もしてました。ここでインフラな知識を吸収していきました。 この時代はあまりフリーランス向けエージェントとかそういったものがほぼほぼ無かった時代でSOHOとかいう言葉が多少ありSOHO掲示板とかがあった程度なので、どうしても個人で案件を探すにも限度がありましたので、関西テレビのソフトウェア会社にバイトプログラマとしてJOINしたりしてました。
そこではTV番組の公式ページだったり、有料コンテンツページの作成だったりを行っていました。 着メロ系のサイトを運営していた企業さんが韓国ドラマブームにうまく乗れたため、そことの付き合いがものすごく長かったですね。 コンシューマ向けゲーム会社と縁が出来、そのタイミングで状況しゲーム開発も少し関わりました。が、自分にはこれは向いてませんでしたね。 上記韓流ブームもどんどん下火になっていき、そことの仕事以外の営業をほとんどしていなかった為もろに自分も大打撃。収入もどんぞこへ。
正直、コンビニバイトガッツリやってる方が儲かってたと思います。 ゲーム開発も肌に合わず、あまりコネクションのない東京。収入もほぼほぼ無い状態。 結局4年ほどで実家である奈良に出戻り。そこからは親のスネをかじりつつ耐える日々。 まぁ、当然ですよね。また、見通し少ない着メロサイトの大規模リニューアル作業の話もあり、でもメンタルもやられてるため進捗は芳しくない。 ここまで頭からほぼほぼ一人で開発やってたってのもあり、技術的な部分で相談出来る相手もほぼほぼ居ないですし、どんどんズレ込んでいく納期。 ますますメンタルもやられていきますね。 何度転職を検討したかわかりませんが、関わってるプロジェクトがあるしで八方塞がりで身動き取れず。 今考えれば思い切ってさっさと転職すべきでしたね。でもメンタルやられてその一歩を踏み出す事も出来ないまま結局30代後半へ。。。 時間的余裕がありまくりだったため、Ruby on Rails、Vue.jsだったりReactだったりAngularJSといったフロントエンドが目まぐるしく変化しまくってた頃に古い情報をアップデートするべく、色々手を出して勉強してました。 ※その間仕事はほそぼそとした修正案件をこなす日々でした。 友達に頭を下げて借金もしたりして、実家ぐらしってのもありなんとか生き延びてるだけの状態。 さすがにもう無理!!!! ってことで満を持して遅すぎる転職活動開始。 年齢もあり、今まで企業に属してもおらず、チーム開発経験もほぼゼロ。当然のように来るお祈りメールの数々。 で、40歳目前ギリギリで今の会社で拾って貰えました。 その会社は共同代表という形をとっており、社長さんがお二方おられるのですが、そのうちのお一人が軽く技術に触れたことがあったらしく面接で意気投合。 でも社内にはエンジニアは一人もいない状況でした。「あーまた一人開発かぁ。。。」という不安はありましたが、まぁ今までも一人でなんとか手探りでやってきた経験があったのでなんとかするしかないと思いその企業さんと仕事をする事を決意。 この時は普通に雇用契約という形で、つまり社員として入社する予定でした。 試用期間が終わろうという時に、会社の業績が悪化。主な原因は未経験営業を大量採用したが当然のように利益に繋がらなかった為。そしてどんどん辞めていく新人営業マン達。必然的に人件費が浮いたので持ち直す事にw ただちょっと怖いなぁってのもあり、雇用契約ではなく業務委託契約という形で様子見をさせてもらう事に。 そして1年ぐらいかな?一人で仕事をしていたんですが、前々からエンジニアを採用して欲しいとお願いしていたのですが、どうやら仲の良い企業さんからオフショアを紹介してもらえたらしく、とりあえず利用してみましょうって事に。 ベトナムで100人規模の社員を抱えており実績も結構しっかりしてるところだったし、こちらとの橋渡しも兼任するというブリッジエンジニアという立場の方が日本語検定な1級をお持ちで、日本語堪能でコミュニケーションも普通に取れました。 文化というか異人種から来るギャップもありましたが慣れてしまえばどうとでも対応出来るし、今では結構良い感じで連携取れるようになりました。 そして初めてのまともなチーム開発。 いやぁ。。。相談出来るって素晴らしいですね!!!!!!!wwww 今は彼女と犬一匹とで生活しても少なくともお金に困るような事の無い生活も出来るようになり、仕事の方も波はありますが安定して良い感じのペースで出来てますね。 自社パッケージ開発なのと、上司にあたる社長さんがあまり納期納期!って急かしてくるタイプじゃない(恐らくその方がせき止めてくださっているんでしょう)ので、精神的余裕も持ちつつ良い感じに仕事出来てます。 それなりの裁量と責任を持たせてくださっているため、技術スタックもオフショアのブリッジエンジニアの方と相談して結構好き勝手に選定出来てますし、新しい技術もどんどん取り入れられてるので時代に取り残されてる感もなくって感じです。 最近主催のかみむらさん
hiro08 (@hiro08gh) / Twitter
がお忙しいためかあまり開催されてませんが、Discordでオンラインもくもく会というものにも参加させていただいたりもしています。 そこに集まる方々は基本的に20代の方が多く、積極的に最新技術を追いかけつつ活発な企業さんに属してる方が大勢おられるので良い刺激を貰ってます! また、元AWSのSAをされておられ、主にサーバーレス関連の情報を発信されておられる西谷さんが、1on1でゆるく雑談しましょうみたいな企画をされておられたので参加してみたら、年齢が近い事もありなんか意気投合w アドバイス頂いたり、逆に自分がちょうど触ってる事や触ったことがある事に関連した事で困ってはる時は積極的に情報提供したりという関係になりました。 2回ほど西谷さんのBlogにも登場させていただきましたw ※西谷さん
Keisuke Nishitani (@Keisuke69) / Twitter
のBlogは以下
www.keisuke69.net 最近触ってるのは、 この辺が主なとこですかね。勿論過去には前述で出てきたものも触ってましたが。 とまぁ、無駄に歴が長いためいろんなものを触ってきましたね。 ただ、慣れてるからといってそれにしがみつくだけでなく、時代の変化についていくためにも新しく出てきた技術は極力吸収するようにしています。 CloudflareのEdge Computing等も気にはなってますが今のところ使う機会・採用するような機会が無さそうなので今は軽く情報を仕入れる程度にとどめてます。 これを書いてる前日が44歳の誕生日だったのですが、年齢を理由にせずこれからもどんどん新しいものを吸収しつつ便利なものは利用していくスタンスで時代についていきたい所存です。 自分の市場価値わかんねぇwはじめに
この業界に足を踏み入れてから
どん底時代
そしてやられるメンタル
転機
初めてのオフショア
そんなこんなで
ここ1、2年
最近の自分の技術スタック
あとがき
追伸